第9章 会話
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本章では、別の疑問に焦点を合わせるために、言語能力を前提としてとらえることにする
情報の共有
推定によれば、人間は起きている時間のおよそ20%を会話に費やしており(Dunbar, 2004)、その時間をきわめてたくさんの異なる行動に費やしている 質問、支持、約束、ルールの宣言、侮辱、世間話、物語、詩、主張、自慢、お世辞、脅し、冗談
このなかにはだますための言語の利用は含まれていない
しかし、ほとんどの観察者の目には、「情報の共有」という機能が際立っている
議論の余地はあるが、これが言語の主要な機能
話し言葉と同じような情報共有機能を果たす非言語的行動もある
指差し
情報共有の価値について、現代の奇跡によって思考が曇らないように気をつける必要がある
「適応に対する健全な認識が畏敬に傾くと、適応を形作った選択圧の理解を進めることができなくなる」(Miller, 2000) 言語を利用する能力は科学を勉強したり、帝国を築いたりするために進化したのではない
言語は遅くとも5万年前に狩猟採集民だったわたしたちの祖先に生まれたもので、それは人類が紛れもない地球の支配者になるよりずっと昔だ
費用と便益
行動を理解するためには費用便益の構造を知っておくことが不可欠
会話は二方向なので、話すと聞くというふたつの行動の費用便益を調べる必要がある
経済理論とゲーム理論の法則に決定的に縛られている取引 「『言語進化の諸理論』では、費用と便益の両方を供え持ち、複雑で新しい精神能力を進化させるために必要な、遺伝子突然変異のゆるやかな積み重ねに有利に働く選択圧をほとんど特定できない」(Miller, 2000) 聞く行為
聞くためのコストはほとんどないが、他者の理解と経験を通じて自分が学べるという大きな利益がある
コストには時間、聞き手として消費するカロリー、気を散らされる可能性が含まれる
聞き手として吸収しているあいだは、脅威と好機の状況を監視することが難しい
仲間が先にトラを見つけて、その人が「気をつけろ」と叫べば、自分が襲われずにすむ
聞くことの利益ばかりに目を向けると、複雑な言語は実際に(わかっているかぎりで)はたったひとつの種でしか進化していないにもかかわらず、言語の進化がすべての種で実質的に不可避だという考え方に引き寄せられるおそれがある
そこで話す行為に目を向ける
言語とは対照的に、目は50を超える動物の系統でまったく異なる進化を遂げている
話す行為
単純に考えれば、話す行為にコストなどほとんどかからないように見える
声帯を収縮させるときと、文章を考える際にニューロンに電気信号を飛ばすときのカロリーだけ
しかし、十分に説明するためにはもっと大きな2つのコストを含める必要がある
情報を独占していれば得られたはずの利益を失う機会費用 「油断なく情報を独り占めするのではなく、関心のあることをすべてばらしてしまいたくてしかたがないという人間の特徴には説明が必要だ」
最初に情報を入手するための費用
会話で人々の関心を引く話をするためには、その会話より前にたくさんの時間とエネルギーを費やして情報を探さなければならない(Dessalles, 2007) ときには大きなリスクを伴う
こうしたコストを照らし合わせれば、情報を集める仕事は他人にやらせておいて、自分はリラックスして冒険などしないことが勝つための戦略だと思われる
しかし、わたしたちはきわめて好奇心が強く、なおかつ自分の好奇心の成果を喜んで他者と共有するのである
したがって、人間が話す理由を説明するためには、情報を得るためのコストと共有することによる価値の低下を相殺するような何らかの利益を探さなくてはならない
話す行為の利益 互恵主義?
単純だが不完全な答えは「お返しをしてくれたら情報を共有しよう」と話し手が見返りによって利益を得ているという考え方
これを互恵取引説と呼ぶことにする
この考え方では、話し手と聞き手は、役割が交互に入れ替わる
血縁選択からも利益を得られるかもしれないが、人間の会話に置いてはごく小さな利益である 帳尻が合っているように見えるが、互恵取引説では説明が難しい行動が数多くある
人は会話の負債記録をとらない
不正に気づくのは聞き手で、話し手ではない
食べ物を分け与えるというような単純で控えめな恩であればこの種の帳簿づけはたやすいが、会話のような複雑であいまいなものごとになるとうまくいかなくなる
さらに重要なことに、わたしたちは会話の負債記録をとろうとさえしていないように見える
平均的な人より物静かな人間を恨んだりしない
その代わりに、ただ聞いて理解してさえもらえれば、話したいだけ話している
人は聞くより話したがる
仮に情報の交換が会話の究極の目的であるなら、人は「欲張りな聞き手」と「けちな話し手」になると予想される(Miller, 2000) 競い合うこともしばしば
聞き役になっているはずのときでさえ、次に何を言おうかと脳が次々に思考を処理しているので、聞く耳が留守になっている事が多い
実際、あまりに話したがるので、会話エチケットの規範でその衝動を抑制しなければならないほど
このように逆転して見える優先順位は、人間の行動のみならず解剖学的構造にも映し出されている
ミラーの言葉を借りる
もし話すことが言語のコストで聞くことが利益であるなら、情報利他主義のコストに相当する人間の発声器官は、いやいや小さな声でささやいたり不明瞭につぶやいたりできればよい、初歩的で控えめなもののままだったはずだ。そして情報獲得の利益を享受するための人間の耳は、しぶしぶ話す仲間から価値ある情報のすべてを吸収するために、発泡に向きを変えられる巨大なラッパ型の耳に進化したはずである。ここでもまた、実際に見ているものとは正反対だ。人間の聴覚器官は進化の観点から見れば控えめなままで、ほかの類人猿と大差ない一方で、発声器官は劇的に改良されている。聞くことではなく話すことが適応の重責を担ったのである。(Miller, 2000) 関連性の基準
互恵取引説にしたがえば、話し手が代わる代わる新しいけれども何の関連もない情報を伝え合うので、会話は否応なしにあちこちに飛ぶはず
だが人間の会話はこうではなく、代わりに話し手は、「関連性」の基準によって厳しい制約を受ける(Grice, 1975) 「会話のパラメーターとして、関連性はつねに存在し、また必要な条件でもある。極端な例をあげれば、話の内容に関連性がまったくない人は速やかに精神疾患として片付けられてしまうだろう」(Dessalles, 2007) 最適とは言えない取引
あわたしたちがもっとも利益性の高い情報取引を無視しているように見えること
初対面の場合、もっとも重要な話題について話すことはめったにない
情報交換の観点からみればたとえ一番の得策であったとしても
解答 性と政治
このような疑問点を解決するために、ミラーもデサルも、会話を情報交換の手段と考えることはやめて、話すという行為には、のちに見返りの情報を受け取る以外に、何か別の利益があると考えてはどうかと提案している(Dessalles, 2007) 具体的には、両者とも話す機能は部分的に見せびらかす行為だと主張している
話し手は一貫して心に残る発言をして聴衆に大きな印象を与えようと努力している
互恵的に情報を受け取るような現物給付ではなく、聴衆の目に映る自分の社会的価値を上げることで埋め合わせている
ミラーの理論では話し手はおもに潜在的な交配相手に対して印象を強めようとしているのであり、デサルによれば、主要な聴衆は潜在的な同盟相手
この二つの説明は一見対立しているように見えるが、だいたいにおいて両立できる
実際、ミラーの交配説は、それより広範囲なデサルの同盟説の特殊な例として扱うことができる
社会、職業、政治の利益ではなく、一緒にチームを組んで子どもを創り育てる相手
これらの説の主な違いは、Millerの説では、話し手が将来的な同盟相手としての自分の価値だけでなく、自分の遺伝子の質を見せびらかすこともできる点にある
会話の参加者は取引相手としてだけではなく、同盟の相手になるかどうかもたがいに評価しあっている
話しては新しくて役立つものごとについて語ること聴衆に強い印象を与えようとしているが、情報そのものは最重要ではない
代わりに、話し手にとってもっとも重要なことは、自分が同盟の相手としていかに魅力的な能力を持っているかを示すこと
話し手としての技能はさまざまな方法で表れる
単純に多くの話題について百科事典のような知識を持っているのかもしれない
とっさに新しい事実や説明を推論することができるほど賢いのかもしれない
他の人が見落とすようなものごとに気づく鋭い目や耳をもっているのかもしれない
価値ある情報源とつながっているのかもしれない
けれども聴衆は、一貫してその技能が示されるのであれば、印象を与える方法にはこれといって興味がないとも言える
聴衆は共有される道具にはあまり興味がなく、彼らが喉から手が出るほど欲しがっているのは実はリュックサックなのである
別の見方もできる。話し手の発言にはみな聴衆に向けたふたつのメッセージが含まれている
「テキスト」=話している実際の言葉
「新しい情報はこれです」
「サブテキスト」=言外の意味
「ところで、わたしはそうしたことを知っている部類の人間ですよ」
場合によっては、たとえば友人が有用な株情報を教えてくれるときのように、テキストがサブテキストより重要なこともある
その場合は、それをありがたく思い、お返しをしなければと考える
しかし、多くの場合はその逆
求職者の面接をしているときは、応募者のリュックサックの大きさと実用性を知りたいのである
これはのちに第11章で論じる内容に似ている。芸術作品そのものにも価値はあるが、芸術作品(とそれを作成する能力)が芸術家について語っていることにこそ大きな価値がある
日常の会話では、聴衆はこのふたつの動機を併せ持っている
ある程度まではテキスト、つまり情報そのものに関心があるが、サブテキスト、つまり同盟を組めるかどうかという話し手の価値も気にしている
したがって、会話は表面的には情報を共有する行為に見えるが、水面下では話し手にとっては自分の思考力、認識、地位、知性を見せびらかす場、同時に聞き手にとっては自分がチームを組みたい相手を見つける場になっている
コラム12 恋人と指導者
殆どのカップルは子どもを作る前に(もし作るなら)100万語ほどの言葉を交わしていると彼は推測する(Miller, 2000) けれども大部分は、パートナーの話と話し方を聞いて、その人物について推察するための情報
ウィリアム・シェイクスピアが「この世は舞台」と書くとき、その詩は世界と芝居についてだけでなく、シェイクスピア本人の技巧と、おそらくその延長線上にある彼の遺伝子的強さについても物語っている
会話と演説のスキルはまた、世界中の指導者にとっても価値ある特質
わたしたちは、聡明で、なおかつそれを証明できる指導者を望む
Dessalles, 2007は会話スキル(特に、いつも最初に情報を得る能力)が同盟の指導者を選ぶためにきわめて役に立つ基準であると主張している。それは彼らが同盟全体に影響をおよぼす意思決定をすることになるためである。 また、会話は恋人や指導者候補として自分を見せびらかす競争であると考えれば、言語がしばしばアイデアを伝えるために必要な度合いを超えて入念に練り上げられているように見える理由も説明できる
疑問点の再考
話すということをこのように考えると、先に述べた互恵取引説では説明
我先に話そうとする理由は、会話の成果がおもに交換される情報にあるのではなく、価値ある同盟相手を見つけ、自分を同盟相手として宣伝するという言外の意味にあるから
人々が会話の負債記録を残していないのも、そもそも負債など存在しないから
関連性が求められるのはなぜか
記憶した雑学をぺらぺらとしゃべりまくることが単純に簡単すぎるからという答えが妥当かもしれない
百科事典のばらばらな知識を並べ立てることはできるが、それでは情報を扱う自分の多彩な能力をほとんど宣伝できない
同様に、初めてだれかに会ったときには、それまでの人生で積み上げてきた貴重な情報を交換するのではなく、その多彩な能力を察知しようとたがいに嗅ぎ回る
つまり、聞き手は一般に、自分の得意な特定の話題に会話を誘導しようとする話し手よりも、会話がどちらに向かっても印象づけることのできる話し手を好む
本当に試されるのは、新しく、なおかつそのときの状況に関連する道具をいつも取り出せるかどうか
彼のリュックサックは役立つものがぎっしりつまっているに違いないとあなたは推察する
彼のまさに感動的なリュックサックにたえずアクセスできるよう、彼とチームを組みたい気持ちがますます強くなる
話し手を評価している聞き手のように、あなたは彼がどのように、関連性があって、役に立つ、新しい道具をリュックサックから出すことができるかはあまりに気にしないという点に注意しよう。もしかすると、彼は以前手に入れた組み立て済みのエサ箱を引っ張り出しているのではなく、実はリュックサックをかき回しながらエサ箱を一から組み立てているのかもしれない。けれどもその人物がそういったことをいつもできるのであれば、あなたは喜んで彼を周囲においておく。
わたしたちはみな、一握りのがらくただけでなく、スーパーマーケット全体をリュックサックに入れている人間と同盟を組みたいのである
深く広く関連付けるこのランダムなアプローチは、テロリストを発見するイスラエルの空港警備員が用いている戦略に似ている
決められたとおりの基本的な質問をするだけだと、うそをつく側もあらかじめ準備された答えを繰り出せる
したがって警備員は相手をランダムに深く問い詰めるように訓練されている
「火曜日には何をしましたか」「博物館ではどれくらい待たされましたか」「列はくねくね曲がっていましたか、それともまっすぐでしたか?」
こうした方法で相手を追求すれば、だれがうそをついていて、誰が真実を語っているのかがすぐわかる
これはまた、聞き手が、聞くことによって得られる新しい情報の質や珍しさを、たいしたことがないように扱って話し手をだまそうとしない理由の説明にも役立つ
もし会話がおもに互恵取引だったなら、相手にあまり「借り」を作らないように、差し出されるものにいつもケチをつけたくなるだろう
ところが、聞き手がそのように話し手をごまかそうとすることはめったにない
代わりにわたしたちはたいてい、話し手の洞察力ある発言にふさわしい高い評価を喜んで与える
わたしたちには話し手にふさわしいだけの尊敬をきちんと与える動機がある
名声
ここまで会話と言う行動を解明するために、同盟相手を吟味するという政治的な言葉を用いてきた
話し手は同盟相手としての自分の価値を売り込もうとしており、逆に聞き手は話し手を潜在的な同盟相手として評価していると述べた
この考え方を用いて、「名声」という一般概念を語ることもできる
名声を解釈する方法はいろいろあるが、「同盟としての価値」と同じものとして扱うことができるだろう
話し上手は名声を高める一つの方法
だが、むろん他にも様々な方法がある
実際、最も重要な「道具」のひとつは他者からの尊敬と支持
つまり、話し上手のように自分を直接印象づける能力を示すだけでなく、影響力の大きい他者が自分を同盟相手に選んだことを示しても名声を得ることができる
この種の「反射」つまり二次的な名声は、印象的な人物が進んであなたに話しかけてきたり、他の人に話す前にわざわざあなたに大切な話を打ち明けたりすれば手に入る
私たちの遠い祖先では、こうした政治活動はおもに面と向かって行われていた
だれかがじかに話しているのを聞き、聞こえたものを気に入れば、その話し手とその場で個人的な結びつきを築いたり強めたりした
もしくは、聞こえたものが気に入らなければ、遠ざかったり関係を弱めたりした
現代社会には、印刷、テレビ、インターネットのおかげで、話す、聞く、結びつく方法がはるかにたくさんある
そこで、反射によって名声を得る方法と並んで、今では数え切れないほどの新しい方法で会話をすることが可能
ここで、多くの人を巻きこむふたつの一般的な会話、すなわちニュースと学術研究について詳しく見ていく
ニュース
ニュースを消費する方法は変わっても、ニュースに夢中になること自体は取り立てて新しくはない
ラジオもテレビも衛生もコンピュータもなく、人々がコーヒー店でほとんどのニュースを手に入れていた275年以上前のイギリスで、その時代の特徴はニュースへの執着だと考えられていたと聞くと驚くかもしれない。(中略)また、ニュースを渇望していた先人はイギリス人だけでもない。たとえば、紀元前四世紀のなかごろ、デモステネスは古代ギリシアのアテナイの人々がニュースの交換に夢中になっていた様子を描写している。(中略)文字文化を持たない民族、あるいは少ししか読み書きのできない人々のニュースに強い懸念を感じると、しばしば評者は述べている(Stephens, 2007) 強い関心な理由を問われると、わたしたちはたいてい日々の重要な問題を知っておくことの重要性を指摘する
1945年にニューヨークで新聞ストライキが起きた時に、社会学者のバーナード・ベレルソンが同市民に「新聞を読むことはとても大切か?」と質問したところ、ほぼ全員が「はっきりと『はい』」と答え、ほとんどの人が「『まじめな』世間の問題」を理由にあげた(Stephens, 2007) それにもかかわらず、ベレルソンによれば、読者は
それほど立派には聞こえない理由で新聞を用いていた。人々は新聞を映画や株や天気といった実用的な情報の源として利用し、ニュースに出てきた人からのコラムの筆者にいたるまで新聞を通して「知った」人々の生活を追うために利用し、「ひまつぶし」の娯楽として利用し、会話で相手に屈しないようにするために利用していた。(Stephens, 2007) わたしたちの祖先が実用的な情報を手に入れる方法としてニュースを追っていたと考えるのは理にかなっている
けれども、グーグルへのアクセスがニュースへの渇望を少しも減少させなかったことに気づいてほしい
それどころか私たちは、今やソーシャルメディアによる更新情報の通知でさらにたくさんのニュースを読んでいる
実際に利用できる部分は消費しているニュースのほんの一部だけであるにもかかわらず
おもによき市民であるためにニュースを利用しているのではないことを示す手がかりはほかにもある
有権者はだいたいにおいて、投票にもっとも役立つ情報にはほとんど興味を示さない
有権者は選挙を競馬のように扱っている
わたしたちはまた、情報源の正確さにも驚くほど関心を示さない
さしあたって金融や賭博市場の価格は適時、正確で偏りのない情報を与えているようだが、ビジネス以外のほとんどの話題ではそうした情報は法的な障害に妨げられたままになっている(Arrow et al., 2008) こうした行動パターンは、ニュースを役立つ情報の源と考えると理解できないだろう
しかし、ニュースをちょっとした会話習慣の延長線上にある大きな「会話」と考えれば理解できる
大規模なニュースという会話もまたいくつかの「流行の」話題を維持している
関連性の基準
ニュースの消費者であるわたしたちは、会話でまごつかないよう、自分の話が強い印象を与えられるよう、だれよりも早くその流行の話題に関する情報を仕入れようと躍起になっている
わたしたちはまた、名声の高い人が書いたニュースやその人達に関するニュースを好む
そのほうが彼らとのつながりが深まるからだ
一方で、プロのジャーナリズムのゆっくりとした衰退は、ここぞとばかりに(質的ではなく量的に)手腕を振るう素人集団によって十二分に相殺されている
人々がブログ、Twitter、Facebookでリンクを共有したりしている時間を考えてみてほしい
その努力に対して金銭を支払われている人はほとんどいないが、それでもつねに報酬を受け取っているのだ
学術研究
大学、シンクタンク、企業内研究所の研究者は、自分の仕事がいかに資金を受けるに値するかを説明することを地負わない
彼らいわく、研究は重要なものごとの認識や理解を深め、さらなるイノベーションや経済成長につながる
実際にはそれが学問の世界を突き動かすおもな動機であることを疑う理由がある
研究者の「会話」は他者によい印象を与えようと見せびらかす人々であふれかえっている
Dessalles, 2007を参照。学界とニュースの主な違いは、学界の名声が主として権威あるエリートの尊敬を集めるのに対して、ニュースの名声は大勢の聴衆の尊敬を広く集めるところにある いくら自分ではそうではないと述べていても、研究者は学問上の名声を得るという動機に圧倒的に駆り立てられている用に見える
ミラーが指摘しているように「科学者は学術会議で発言する機会を巡って争っている。聞くためではない」(Miller, 2000) しかしながら、これらはみな学問の世界が研究をする動機を供給する側から述べたもの
研究の需要の側はどうなっているのだろう
そこでもまた、研究の根底にある価値に厳密に焦点を合わせているというよりは、名声が優先されている
研究のほとんどの資金提供者と消費者にとって、研究の「テキスト」(そこからわかる真実とその情報の重要性および有益性)は「サブテキスト」(研究からわかる研究者の名声とその栄光がどのように資金提供者や消費者に反射されるか)ほど重要ではない用に見える
研究者は論文を読んで自分の文献内で引用することで研究を消費する
こうした研究の「会話」は、そのとき流行している関連性の高いテーマに集中しがち
そうしたテーマの流行は数十年続くことがあるだけでなく、その人気分野以外で行われた研究は、たとえその価値が低いことを示す根拠が何もなくても無視される事が多い
実際には他の研究者が目を向けていないところにこそ新たな発見がある可能性が高いのだが、現在の会話に関係がなさそうに見えるというだけで注意を払われていない(Alston et al., 2011) ほとんどのものごとと同じように、研究も努力に対して報酬が少ないことに苦しんでいるように見える
かくして、だいたいにおいて、流行をおわずにこつこつと研究を続ける研究者は論文を引用される回数も少ない
こうも考えられる。研究資金の提供者は、XプライズやDARPA(国防高等研究計画局)グランド・チャレンジなどのように、あらかじめ決められた目標を達成したときに報酬を与えるほうが、通常のように前もって助成金を与えるより(Hanson, 1995; Hanson, 1998)、費用を少なく抑えてよりよい成果を得られることがある ただし、資金提供者側から見たその場合の問題点は、勝者がだれであっても資金を渡さなければならないため、決定権の余地があまりない
したがって、資金提供者と研究者が、パトロンと芸術家のような関係に発展して、資金を出した側が研究者との結びつきから名声を得る機会が減ってしまう
発表と資金集めのために研究を評価する学問の世界の審査委員
審査員はおそらく学界で名声を得るための最重要な門番であるから、もっとも発表や資金を受けるに値する論文や提案、すなわち「テキスト」に価値のあるものを選びぬいていると考えたい
残念ながら、ここでも政治的な種の特徴である偏見がはびこっている
審査員は研究そのものの内容や社会的な価値ではなく、受理する論文の名声を示す指標、そしてそれがどのように自分と自分の組織に反映されるかということのほうが気になるようである
まず、殆どの場合、受理に値する論文はどれかという点で全審査員の意見が一致することはありえない
一致する傾向にあると言えるのは、多様な評価の20%未満
けれども、どれがふさわしいかという点で意見が一致する場合、すでに名声のある内部の人間の意見が尊重される傾向が強い
こうした内部の人間は名前がはっきりしていることもあるが、名前が明かされない査読の場合には、探偵のように調べてその情報に基づいて推測する
たとえば、すいでにある学術誌で発表された論文を、世に知られていない名前と機関名に差し替えてその後すぐ再提出すると、すでに発表されていると気づかれるのはそれらのわずか10%だけで、残り90%のうち、新しい名前でも受理されるのはわずか10%だけ(Peters & Ceci, 1982) むろん、査読プロセスによって新しい、もしくは主流以外の、あるいはその両方に該当する研究者の仕事が本当に評価されることもある
けれども著者ロビンの長年の経験によれば、そうした場合の審査員は一般的に、論文の提出によってその著者の印象が強まるかどうかに焦点を当てている
つまり、審査員は体裁、その論文にあいまいな部分がなく、詳細までつめられているかどうかに大きく注目しているのである
特に好まれるのは、難しい方法をうまく証明している論文
そして、実質的に社会にとって有益化どうかというその研究の長期的な可能性について論じられることは、ほぼない
論文の結論を伏せて審査をするなど、学術誌で発表される論文の正確性を高めるためにできる改革はたくさんある(Nyhan, 2014) けれどもそうした改革を行えば、名声をもたらしそうな論文を選ぶという学術誌の能力が制約を受ける
ゆえに、改革に対する関心は驚くほど少ない
本書のなかのゾウ
大胆に言うなら、本書の著者ふたりは読者に強い印象を与えたい、すなわち名声がほしいのだ
学者であるロビンは発表論文の一人影響力で評価されるので、本書が経歴欄で見栄えのする項目になることを祈っている
学問の世界では部外者のロビンは本書をおおむね虚栄心のプロジェクトと位置づけている
自分たちの評判を飾り立てるという望みがなければ、これほどの労力を注ぎ込むことはできなかっただろう